伊佐美との出会い

1960年半ば、大学生だった私は博多の大手新聞社企画部でスポーツやイベントの連絡事務アルバイトを3年間、楽しくやらせて頂きました。大学を卒業し、しばらくして家業の酒屋を手伝うようになった頃、全国の酒類の消費に変化が起こります。すなわち『第一次焼酎ブーム』です。

その頃の全国のアルコール消費は6割近くがビール、残りの4割をウイスキー・清酒・焼酎・果実酒・その他で分け合っていました。その中で焼酎ブームが興ったのは、1960~70年代の経済的背景的に、庶民が旨くて安い大衆酒“焼酎”を求めたと言えます。

焼酎は大きく二つに分かれます。原料をはっきり明記し、1回のみの蒸留のため、原料本来の風味や旨み味わえる乙類焼酎(ほとんどが九州産)。画一的な味の甲類焼酎(原料を特定せず、高濃度エタノールを連続的に生成するもの。全国に点在して生産)。それらはそれぞれに支持を拡大しつつありました。

さて、第一次焼酎ブームの人気は麦焼酎が主で、次点が芋焼酎・米焼酎の順でした。当時、鹿児島の芋焼酎は既に全国に行き渡っていましたが、芋の香りの部分で愛飲家の判断を大きく二分する傾向にありました。

そのため小森商店も、当初はマイルドな香りの麦焼酎を押し、「長崎・壱岐の麦焼酎フェアー・試飲即売会」を自社で開催したりしました。(盛況で地元紙に掲載されました。)

その麦焼酎フェアーから数ヵ月後、今度は大学時代にお世話になった大手新聞社広告部から、「博多駅地下街の自社ビル催事スペースで試飲即売会を開催したいので協力して欲しい」との要請が来たのです。その名も『九州焼酎まつり』。営業で元アルバイト先の企画部に何度か顔を出していたので、そのまま話が広報部に行ったようです。確か1969年辺りだったでしょうか。これが後に弊社と伊佐美の出会いになります。

当時、酒類は免許申請場所以外では販売することが出来ませんでした。売るなら免許取得者(私)が役所に期間限定の臨時免許を申請し許可をもらうという手続きが必要だったことも、声が掛かった一因です。

学生時代の恩返しを兼ね、即答で協力を引き受けたまでは良かったのですが、今度は『出品銘柄の選択』という難題が浮上します。若年の私に米・麦・芋など70銘柄もの選定が任されたのです。さて、どうしたものか…。新聞社の意向や先輩・知り合いの話を聞きつつ、麦焼酎は壱岐焼酎を、米焼酎は熊本の球磨焼酎をそれぞれ中心に沿え、芋焼酎は鹿児島と宮崎から選びました。

そんな折、人づてに「芋焼酎なのに非常に口当たりが良く飲み旨い『伊佐美』と言う銘柄の焼酎がある」と聞きました。それで選考の最後の方で伊佐美を推薦しました。試飲する前だったので、正直、味はまだ知りません。

準備が整い『九州焼酎まつり』はスタートしました。麦・芋・米・蕎麦などの様々な焼酎が並べられた試飲会場は、初日から多くの客で埋まり大盛況です。また各メーカーからは販売員が出向き、商品の味や特徴の説明に余念がありません。人気商品は品切れが生じ、補充に走ることもありました。

一日目よりアンケートを取っていましたが、私が予想していたのと裏腹に芋焼酎に対するお客様の反応がとても良く、それも入手が難しいと噂されている伊佐美を中心に連日の試飲即売会が過ぎていきました。その時、試飲した伊佐美の上品な口当たりの良さは今でも舌の感覚に残っています。この『伊佐美』を是非、小森商店で販売したい!

伊佐美は、まつり期間中一番美味しい焼酎のアンケートでトップに輝き、販売本数も群を抜いていました。そんな折、鹿児島から甲斐弘一社長が直々に販売員として見えられました。思わず声を掛けさせて頂き、いろいろお話をお聞きしました。甲斐社長は余り私と年が変わらなかったので、焼酎のつくりへの思いや、味や香りに話は弾み、意気投合したことをも覚えています。

ここから甲斐商店と小森商店の取引が始まり、50年以上を経て尚、現在も続いております。当店は福岡で一番最初の伊佐美・特約店です。

小森弘基
(日本ソムリエ協会認定:ワインソムリエ、SSI認定:利き酒師)

2014年10月、甲斐商店さんとの商談で鹿児島県伊佐市に伺った時の写真です。

伊佐市役所 大口 ふれあいセンター

地元で有名なトンカツちゃんぽん

ゆるキャラ『イーサキング』